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光の中の記憶
 
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ここに来るのは、いつ以来のことだろう?

道の両側に果てしなく軒を並べる土産物屋。
修学旅行の学生に年老いたカップル、そして外国人。

かつて私がこの坂に立ったときも、やっぱりこんな光景を見ていた気がする。

 
ごめんなさい

後ろから登ってくる若い女性にそう声をかけられて、私はあわてて脇に移動する。
女性は軽く頭を下げて通り抜ける。一緒にいた若い男性も軽く会釈をしてみせた。

こめかみに手をやると湧き水のように汗が流れている。
私は扇子を売る店の日除けに待避して、しばらくその場に佇んだ。

 

暦の上ではまだ五月。
だがこの東山に吹く風は薫りもしない。

肌のうえを虫が這いまわるような感覚と、厳しい暑さ。
それは紛れもなく夏のもの。

だがこの暑さが、私の記憶の底に眠る光景を掘り出す道具となってくれる。
最後にこの清水寺を訪れたのも、たしか夏だった。

それはまだ私が学生の頃。
何人で訪れたのかは覚えていない。

ただ同級生と下級生と、眩しい緑とこの暑さ。
それ以上のものを取り出そうとすると、記憶の断片はするりとこの手から抜け落ちてしまう。

両手に何も残っていないことを確認して私はふたたび歩き出す。

 

神戸で友人と会った帰りのことである。

学生時代を過ごした懐かしい京都を、いっときだけ訪れた。
時間はないから駅に近い清水だけを。

東大路からつづく二年坂、産寧坂、そして参道を歩きながら記憶の糸をたぐる。
けれどもやっぱり明確な画は思い出せないまま。

それも仕方がないこと。
記憶の入れ替えがなければ、私たちはいつまでも嫌な出来事と一緒にいなければならない。

気持ちよく新しい日々を迎えるため、
いや、この世界で生きていくためにも、忘れることは私たちにとって必要なのだ。

たとえそれが忘れがたい美しい思い出であったとしても。

 

参道が終わり、仁王門から経堂へとつづく階段にさしかかったときである。

さきほど土産物屋の前で、私に声をかけた二人。あの二人の姿が視界に入る。
彼らはしっかりと手を握りあっていた。

男性は歩幅も大きく、一段飛ばしで力強く。
女性は彼に遅れまいと、追いかけるように。

彼らの後ろ姿に見とれていると、前方の子供がビー玉を落とした。

透明なそして小さい玉は、石段に弾み私の目の前に飛んできた。
急いで取ろうとするが私の動きが一瞬遅く、そのまま坂の下へと転がり落ちていく。

 
階段の上から、

いいよ、また買ってあげるから

聞こえた優しい声は母親のものだろうか。

 

手を繋いだ二人はもうすぐ階段を登り切るところである。

彼らを見ていると色彩のない記憶の中に、ふとあざやかな瞬間、
そして光が甦った気がしたけれど、

目の前にあるのはやっぱり現代(いま)の光景だった。

# by almauniski | 2009-06-01 01:16 | Comments(0)
永遠のミコル
永遠のミコル_f0163793_14251189.jpg


Il Giardino dei Finzi-Continiは、Georgio Bassaniの手により1962年に出版された小説である。

その年のヴィアレッジ賞を受賞し、十ヶ月間で二十万部を越えるベストセラーとなった。
以後、欧州の数カ国と英国で翻訳され、1969年には映画化もされている。

この小説を読んだのは今年の初めであった。ただ、この物語との出会いについてはここには書かない。
読後直後には言いしれぬ深い感動を覚え言葉も出なかった。しばらく私はその場で動けずにいたと思う。

私の人生で深い感動を与えてくれた小説はいくつかあるが、
それらと同様にこの作品も今後の私の創作に大きな影響を与えてくれることになるだろう。



1930年代から1940年代のイタリアはフェルラーラが舞台のこの小説は、
作者とその憧れの女性ミコルの思い出を綴った作品である。

作者の試みはミコルとの思い出の永遠化にあり、それは成功したと言える。
さぞ多くの人がこの小説を読んで感動したであろう。

そして私もそのひとりだ。特に突然終わる物語が、
ミコルがのちに直面する悲劇を想起させ、読む者を深い悲しみに沈ませる。

だが同時に突然の喪失は、時に陽光の日々をよりいっそう輝かせる効果をもたらす。

彼らの過ごしたフィンツィ・コンティーニ家の庭は、まさに青春の森と呼ぶにふさわしいひとつの世界であった。

ジョルジオもミコルもそんな青春の森を、生命の息吹を身体中に感じながら、
同時に心の隅から追い出せないある種の虚無感を抱えながら歩いていったのだろう。

ジョルジオがフランスから戻る列車の中で、ミコル宛に書いた手紙にこんな一節があった。

『すべてを喪うことは、何も喪わないことでもある』

スタンダールからの引用というこの言葉こそ、彼らの悲しい青春を暗示しているのではないか。

ジョルジオはミコルを、青春のすべてとも言うべき彼女を喪った。
そしてミコルも家族と生命、すべてを喪った。

だが私たちの目の前には、その喪われたはずの世界が燦然と輝いている。


彼らの過ごした森に比べれば、現在私が生きている世界は、矮小で取るに足らぬ木立のようなもの。

それでも日々の生活を送る中で、目に止まった美しいもの、心に止まる小さな何かをとどめておきたい。

その気持ちは、ある意味このEllasBailaBoleroを立ちあげる上での大きな原動力になってくれたと言える。



作者のバッサーニはおよそ10年前に亡くなった。

私は人が死んだのち、彼方に別の世界があるという話を信じないけれど、
もしもそれがあるのだとしたら、彼の地でジョルジオとミコルが再会できることを祈りたい。





# by almauniski | 2008-12-16 14:46 | Comments(4)
銃器
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私が島田のニコンF3を褒めると、彼はまんざらでもなさそうにそれをテーブルの上に載せた。


「こいつはいいカメラですよ。たしかに最新のデジタルに比べればピント合わせや露出決めの手間がかかります。
でもすべて、ぼくの意思通りに動いてくれる信頼できるカメラでもある。

最近のカメラではそうはいかないでしょう?全部カメラがやってくれますしね。
下手すると人間がカメラの言いなりになっているかもしれない。

だがこいつは違います。常にぼくの命令に忠実に従ってくれる、飼い犬みたいなもんです。
ある意味、ぼくはこいつと一心同体なんです」


それから島田はF3を私に差し出し、触ってみるように言った。
私はおそるおそるそれを手に取る。ひんやりとした金属の手触りが不思議に心地いい。

そして重かった。
かなり使い込んでいるらしく、角の部分は黒い塗装が剥げて真鍮の地金が見えていた。

モータードライブの取っ手部分はずいぶん大きい。
握ってみるとカメラとは思えない無感情な肌触りに感じる。これはむしろ拳銃の類に近いのではないかと思った。

それもアメリカ製の大きなオートマチック拳銃だ。
金属外装の重々しさといい手に余る大きさといい、どこもかしこも私のプラスチック製デジタルカメラとは大違いである。

「やっぱり凄いですね。手にずしりとくる感触が私のカメラとは違いすぎます」

「いやあ。でも撮る機械という部分だけで考えたら、あなたのデジタル一眼の方がはるかに優秀ですよ。
ただ、ぼくはこのカメラが好きなだけなんです」

銃器のようなカメラを返すと島田はバッグからネル地の布を取り出し、カメラの表面に残った指紋のあとを拭きはじめた。


過去の創作 小説『写真機』より

# by almauniski | 2008-11-25 17:51 | Comments(8)



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